Subway Chiyoda Line
Subway Chiyoda Line

    降りしきる雨を避けようと、急いで地下街に下りた。駅ビルの北口から入り店内を通って、3階の改札口に出た。入り口に出ていた「atré」を発音してもらったら、日本語と同じ「アトレ」だった。東海道線に乗って、原宿に向かった。電車が多摩川を渡りかけた所で、「次の駅で降りるのか」と聞かれた。昨日来たときとは、逆コースであることがわかっていたのだろう。

     JR原宿駅とメトロ明治神宮駅は隣接している。千代田線のホームに降りようとする。階段の手前に設置してある表示板の矢印の位置が少しわかりにくくて、一旦通り過ぎたが、逆方向から表示板の裏側を見たら、その階段が正しかった。ホームの奥まで進み過ぎると、間違っていたときに戻る距離が長くなるので、階段を下りた所からほとんど進まずに地下鉄に乗った。小田急線から乗り入れている新型車両だった。連結部分が透明なアクリル張りになっている。カーブになると、車内の奥の方が曲がって見える。ゲストは傑作を撮ろうとしたができなかった。帰りにできると言ってしまったが、帰りは新型車両ではなかった。とりあえず、カーブのときの車両の内部の撮影はしておいた。

Media Art Fes poster
Media Art Fes poster

    表参道駅を過ぎて乃木坂に着いた。6番出口であることは覚えていたが、その出口がどこにあるのかわからない。階段がすぐ近くに見える。「青山墓地」と表示のある出口に向かって歩いて行くと階段の上に、ブースがある。中にいた駅員に聞いた。この方向でよかった。地下鉄の駅のすぐ隣に国立新美術館はあった。地上に出たら目の前に美術館の入り口が見えた。その入り口までの通路には屋根が付いている。ビニールのレインコートを着たガードマンが屋根と美術館の入り口の境目に立っているのが見える。中に入っていくと受付の女性に声をかけられた。近づいていくと、私には日本語版、ゲストには英語版のパンフレットと講演会の予定表を手渡してくれた。カメラの撮影について尋ねるとロビーと展示場の中の一部は可能だということだった。私がBathroomから戻ると、ゲストはベンチに深く腰掛けて待っていたが、上着と手荷物を奥まった所にあるロッカーに入れに行ったついでにBathroomに立ち寄った。1340分、会場に入った。展示会場の構成には、見学者の流れを考慮した決まりごとがあるようなことを口にしながら、ゲストは入り口に向かった。私はすぐあとについて行った。

Inside The National Art Center
Inside The National Art Center

         出展作品集の解説をした書籍を積み上げたテーブルが入り口にあった。その横を通り過ぎた所で、現代アートを専攻しているキュレーターに、英語で解説してもらえることを伝えたら、キュレーターのことが話題になった。ゲスト自身はキュレーターになる予定はなく、展覧会の企画をおこなうビジネスがしたいと言っていた。最初に届いたメールには、「岡本太郎美術館」を訪れること、「第16回文化庁メディア芸術祭(16th Japan Media Arts Festival)」が開催されている「国立新美術館」を訪れることが書いてあった。作品を出展するのか、何かの賞をもらうのか、いろいろ想像してみた。作品のチェックだった。メールは手短にというお約束通りに、届いたメールの本文はまるで、タイトルか見出しのような書き方だった。いつもキャンパスでは昼食の時間が2時か3時ごろになると言っていたのを思い出した。やはり多忙だったのだ。1つ目の作品に近づいていく。大勢の人たちの中に進んでいって、作品の前に立つ。あっと驚くほどの大掛かりな作品もある。こんなことを考え出す人がいるのかと思う作品もある。作品の説明が日本語だけのときもあった。英語の文字が少し小さめのときもあった。こんなときには、作品を見る前に、先に日本語の解説に目を通しておいて、ゲストの質問に的確に答えるようにした。それでも、きょうの自分が何を言い出すのか、出たとこ勝負だ。使用頻度の低い言葉が、勝手に脳から出てくるような気がした。ゲストが「ん」という反応をしたら、また違った言い方をすればよい。受付でもらったパンフレットの説明をときどき、読んでは、作品を鑑賞していたが、突然、私に話しかけてくることもある。      

Contemporary Art Poster
Contemporary Art Poster

          会場はアート、エンターテイメント、マンガ、アニメーションの各部門にわかれた広いブースに分けてあって、それぞれについて大賞・新人賞・優秀賞・推薦作品が展示されている。パンフレットによると全部で52の作品を鑑賞することになる。私は絵画の鑑賞に、何度か出かけたことはあるが、現代アートは、教科書や雑誌で目にしたり、「レッド・ブイアント」のように、街の中で通りがかりに見掛ける程度だ。きょう、ここで見たもの、これが現代アートというものだったのだ。私には作品プラス英語による説明も含めて、アートだったのだ。入場者の国籍はさまざまだ。大勢の人々が、詰めかけていたが、会場が広いため、1つの作品に要する時間は、見る人が自由に決めてよい。壁やパーテーションにかかったまま、おとなしくしている絵画やポスターや、ワイヤーで固定された彫塑や花卉、壺のような作品は少なく、動き回ったり、見ている人が触らないと反応しないもの、じっとしているかと思えば、たまにいろいろな動きをしたりする作品、スクリーンに投影される作品、テレビ画面で見る作品、空き瓶の工場のような部屋、家電量販店の照明器具売り場のような作品、住宅展示場のシステムキッチンやバスルームのような作品もある。これが芸術ではなくてアートなのだ。所要時間が約12分と表示された作品もいくつかあった。もちろんすべて鑑賞した。中には12分たつ前に離れたものもあった。私には、芸術鑑賞、特に現代アートのポイントを押さえているゲストの感想と解説そのものも鑑賞の対象になった。パンフレットを読むとガイドツアーがあり、所要時間は1時間と書いてあった。私は1320分から1530分まで、途中、休憩を入れて現代アート作品とその解説を堪能することができた。ガイドツアーだと質問はできても、思いついたことを勝手に語ることはできなかっただろう。

Pendulum Choir (from Website)
Pendulum Choir (from Website)

        会場の受付(Information desk)を入って正面の右側に、大賞(Grand Prize)を獲得したメディア・インスタレーション部門の「Pendulum Choir」という作品が見えた。黒いズボンを履き、黒いTシャツを着た9人の男性の人形が、足元にある長さ50cmほどの棒に支えられて立っている。アカペラの音声に合わせて、コンピュータ制御された棒が動く。人形はそれぞればらばらの動きをする。音声に合わせて全身を前後左右に傾きながら身をくねらせている。現代アートとは、このような作品をいうのだと言わんばかりに、入り口をはいった所に展示されている。

その横にあるのは、「新人賞(New Face Award)」を獲得した「Species series」という作品だ。丸めて捨てられた新聞紙や紙袋、飲みほした紙製のコーヒーカップ、昆虫の様な精巧にできた生物が、車にひかれそうになったり、柱から滑り落ちそうになったりする様子をスクリーンに映している。スクリーンの右下の隅に、会場内は風がないのに、風に吹かれてあちこち動き回る、丸められた英字新聞が転がっている。実際にゴミが落ちているのかと思わせるような演出だ。ゲストも私も、だまされてしまった。「これはボストンの地下鉄だ。」とゲストは教えてくれた。車両と線路の下の様子に特色があるのだそうだ。

隣のコーナーはヘッドセットをつけて音声と映像を同時に楽しむ作品だ。右にあったのがインスタレーションという分野の「審査委員会推薦作品(Jury Selection)」の1つで「海の形(Form of sea)」だ。3つのスクリーンに映る服を脱いで海に入る男性の動きを逆に回して映し出す。波の音しか聞こえてこない。       

Rolling paper / Species series
Rolling paper / Species series

          その左隣は、「優秀賞(Excellence Award)」の1つ、「On Pause」という作品だ。隣の作品より大きめの画面に543秒の間、地方の空港の滑走路とエプロンが映し出され、広々とした青空を背景に数機のアエロ・フロートの飛行機が見える。この空港のどこかに住み着いているホームレスと思われる男性が姿は見えないが、人生のはかなさ、愛と苦悩をつぶやいている音声が流れてくる仕掛けだ。閑散とした地方の空港の滑走路付近の情景を撮った作品である。成田空港へ見送りに行ったとき、ゲストがセキュリティチェックのブースに入る直前に、「この後どうするか」と聞かれた。「展望デッキに行く」「この作品のようにね」。こんな会話を思い出した。 

Immersive Room
Immersive Room

    通路をはさんで、この2つの作品の向かい側に、映像インスタレーションという分野の「審査委員会推薦作品(Jury Selection)」の「Immersive Room」という作品があった。1つの大きなスクリーンに開閉する扉や扉のない出入り口を映し出す。扉がない状態を映した映像では、実際に壁に穴があいているような錯覚を起こす仕掛けになっている。一瞬見ただけでは、スクリ-ンに穴が開いたように見える仕掛けだ。壁を少し削って、凹凸をつけてへこませた白塗りの壁をスクリーンにして、扉を映写していることがわかった。ゲストにそのことを話したが、映写が終わって、壁のへこみを見るまで納得してもらえなかった。アートの展示会場に続いて、エンターテインメント、マンガ、アニメーションとすべての作品を制覇した。

Manga Characters
Manga Characters

         後半のマンガ部門からは写真撮影ができるようになった。途中で、デジカメのシャッターが反応しなくなった。きょう撮影できなくなることよりも、今まで撮ったものが消えてしまうかもしれないことのほうが心配だった。何とかしなければと思いながら、あれこれ、修復方法を考えながら、先に進むゲストのあとを追った。いつの間にか電池を取り出していた。フリーズしたら電源を遮断する習慣になっているのかもしれない。リセットしたら動き出したので、ひと安心。ゲストの姿を見失った。同じ形をした隣のブースにあるタッチパネルに触れて風船を動かす作品に熱中していた。2013年の現代アート(Contemporary Art)はこういうものなのだ。iPhoneiPad NintendoPlayStationも現代アートかもしれない。そういえば、今朝、市役所に行くまでに見た稲毛神社の狛犬も干支のオブジェも現代アートだ。

National Art Center Lobby
National Art Center Lobby

    どの作品が印象に残ったと聞かれたので、ゲストがどのような鑑賞の仕方をするかと、とまどっていたはじめの方の作品が特に記憶に残っていたので、それらのいくつかについて説明した。ゲストのお気に入りを聞くのを忘れたが、オブジェでもマンガやアニメーションでもそれぞれ、どのような基準があるかと思うほど作品によって好みの程度が異なっていた。滞在時間が長めのものがお気に入りの作品だということにした。今朝、テレビでイギリスの作品で人形劇を見ながら、こんなのがいいと言っていたのを思い出した。緑色と茶色の配色がきれいで、犬の格好をした人形が動き回っていた。小声の英語を聞いて、聞き流すのではなくて、きちんと反応して考えを伝えるという「美術館で」というレッスンだった。ゲストは翌日行われる講演に興味があった。受付で聞いているのを見ていた私は、小田急線と千代田線とは同じ1本の路線で繋がっているので、「岡本太郎美術館へ行った帰りに立ち寄ることもできる。」と伝えた。結局、翌日、行われる講演会では、英語による解説がついてないということがわかり、却下となった。ゲストは、帰り際にこの展覧会の作品を解説した1部2500円の分厚い書籍を1冊買い求めた。外に出ると、本降りになっていたので、素直に妻のアドバイスに従っていてよかった。食事にしようかと、ロビーをひと回りして、入り口の近くの窓際にあったベンチに腰掛けたままで尋ねると、「朝食の残りがまだあるので。」と言った。昨夜、ゲストから聞き出した要望通りの朝食を妻にこしらえてもらって、今朝、私が届けたものだ。     

National Art Center Bird's-eye View  (Wikipedia)
National Art Center Bird's-eye View (Wikipedia)

    往路と同じコースをたどって帰路についた。帰りに乗った千代田線は新型車両ではなかった。曲がりくねった車内の写真は撮ることはできないが、とりあえず1枚だけ撮っておいた。何度も電車の乗り換えが続いたので、「降りますよ」という言葉が口癖になってしまった。「Mr. Getting Off」になってしまった。原宿から品川駅を経由して川崎に向かう。30分ほど時間がかかるので、ここで、現代アート展の会場で目にした、「インスタレーション」という言葉についての説明を掲載します。Wikipediaからの引用です。この日の夜、これを読んで、きょう体験したのは確かに「現代アート」だったことを私は再確認した。  

インスタレーション (Installation art) とは、1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。ビデオ映像を上映して空間を構成することもあれば(ビデオ・インスタレーション)、音響などを用いて空間を構成する(サウンド・インストレーション)こともある。

空間全体が作品であるため、鑑賞者は一点一点の作品を「鑑賞」するというより、作品に全身を囲まれて空間全体を「体験」することになる。鑑賞者がその空間を体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどのように変化させるかを要点とする芸術手法である。最初はおもに彫刻作品の展示方法の工夫や、ランドアート・環境芸術の制作、パフォーマンス・アートの演出に対する試行錯誤から誕生したが、次第に彫刻などの枠組みから離れ、独自の傾向を見せるようになったため、独立した表現手法として扱われるようになった。(Wikipedia)     

Entrance Gate, Cinecitta
Entrance Gate, Cinecitta

    川崎駅からは、大きな荷物もないのでバス帰る。前のバスが出た後だ。列の先頭に並んだ。しばらく話しているうちに、次のバスが来た。ドアが開く。私はいつものように最後部の席に向かった。後ろでゲストが使ったスイカの音が聞こえた。脚が長めのゲストには、中央に座ってもらう。普段からバスに乗るのが好きだと言っていた。バスだけではない。明日、電車に乗れば、相当のマニアであることがわかる。お楽しみに。ゲストが子どものころ、父親があちこち、いろいろな交通機関に乗せて連れ歩いたような気がする。「チネチッタ」の前にあるバス停に近づいた。「明日、バスで来るときには、終点の手前のシネマ・コンプレックスの前でバスを降りて、中を散策しよう。」と、入口にあるゲートを指さしながら話しかけた。昨日の夜、ゲストハウスに向かうタクシーの中からこの辺りの雰囲気が気になっているようにみえた。通りに面した色とりどりの照明に浮かぶパチンコ街が気になったのかもしれない。パチンコのことは話題にあがらなかった。それにしても、バス通りから見えるヨーロッパ風の色彩の建物。石畳を行きかう人々。隣に数多く立ち並んだパチンコ・パーラーの賑やかなこと。                      つづく