In the Studio (www.maryanmears.com)
In the Studio (www.maryanmears.com)

     同じフロアにある映画館の横をはいっていった奥にあるBathroomから戻ってくると、空気は冷たいが、黒いコートをベンチの脇に置き、青色のセーターの上に茶色と朱色のストライプが交互に横に入ったカーディガン姿で日差しを浴びながら、iPadを覗き込んでいた。ブラウンのサングラスで隠れた顔をこちらに向けた。頬を半分くらい覆う大きなレンズが眩しい。顔を画面に向けたまま、「電波は弱いがWiFiが使える」と言う。フレームに当たる光がちらついている。邪魔をしないようにベンチの左側に座って周りの景色を楽しんだ。デッキの下に広がる幾何学模様の上を行き交う人々、スマートホンと対話する人、駅の方を向いているカップル、床下に飾ってある数多くのスプーンの残骸を見ながら、上からガラスをたたく幼児、そばのテーブルで連れと何かを飲んでいる人たちの動きを見たり、同じフロアの向こう側にある小さな鳥居を眺めたりしていた。ここのすべてが現代アートかもしれない。あちこちに「撮影禁止」のイラストや文字が目につく。空は澄み渡っている。ときどき、ゲストの方に目をやる。しきりに何かを調べているようだ。 

しばらくして、iPadをショルダーバッグにしまってから、ゲストが語り始めた。こちらに来る2週間ほど前にMarry Annの自宅に会いに行ったときの話。感じのよい優しい人で、倉庫の様な大掛かりな工房を案内してもらい、2時間も話し込んだこと。大がかりなモニュメントを制作する前に、粘土や厚紙を使って模型を作ることを教わったそうだ。少し間をおいてから、ゲストの誕生日のお祝いにと母親が買った「GPの衣類のことを話した。「誕生日が過ぎたころに、半額になるのでと買わないように」と言ったのに、買ってきてしまったとか。次の週末には言った通り半額になっていたそうだ。控えめな手振りでいろいろ話を聞かせてくれた。私は体を右に向けたまま、聞いていた。頭から膝までからだの左側が熱い。

SKY GARDEN on the 69th Floor
SKY GARDEN on the 69th Floor

昨日、みなとみらいの69階の展望フロア、「スカイガーデン」で、外国人を多く見かけたが、川崎より横浜にはなぜ外国人観光客が多いのかと聞かれた。「Google MapWikipediaで調べたところ、ボルチモアの港の商業施設であるインナーハーバーは、きのう訪れた横浜港のみなとみらい地区より規模が大きい。港の規模なら、ボルチモアと横浜が姉妹都市である方がいい」と言いたかったが、ゲストが何度も「川崎が好きだ」と言っていたので、そのイメージを壊さないように言わないことにした。

  © 2004 Kawasaki City
  © 2004 Kawasaki City

ここに「川崎の音色」という曲の「そんな~川崎に~似合うのは…ゲストのあなたです♬」というコーラスが流れると、ぐっとくるのですが。「1859年に開港する前から、横浜には外国人が多く住んでいたし、大型外国船も停泊できるので観光客として外国人も多いからではないか」と答えた。あとでGoogle Mapで比較したところ、羽田空港を含む東京都南部から川崎市全部と横浜市の都筑区、鶴見区、神奈川区とみなとみらい21地区を含めた面積がボルチモア市に相当する。Google検索では、検索欄に、2都市の「面積」の文字を打ち込み終わる前に、「川崎142.7m2」「ボルチモア238.4 m2」と画面に表示された。しょうゆ味のせんべいの袋を破って、膝に散らかった粉を払いながら、まだ、残っていたカプチーノを口にする、黒いサングラスが揺れるゲストの話す仕草が印象的だった。私は、快い調べに似た英語の響きに酔いしれていたのだろう。サンデッキでまどろみながら、右を向いてゲストの話を聞いていたので、左側の頬が日焼けしているかもしれない。

Station; Where People Meet and See Off
Station; Where People Meet and See Off

     品川を出発する成田エクスプレスに乗車する1時間前になった。日光浴を終えて、サンデッキを離れ、来た道を戻る。のぼってきたとき、私がコーヒーカップを捨てたゴミ入れに、今度はゲストが飲み干したカプチーノのカップとせんべいの袋を捨てた。サンデッキを離れてエスカレーターに乗るとき、Bathroomに行くと言いだした。いつ、どこで言ったのか覚えていないが、「お互い、緊急事態になる前にSay when」と約束してあった。エスカレーターが3階に着く手前で、「Bカメラ」の前に行くことにした。私は旅行鞄を膝の前に置き、エレベーターホールの椅子に座って待っていた。広場まで出てから、「COA○」と「○○REPUBLIC」の前を通り、ミューザデッキに来た。メール1つで、アメリカから人が来るのか、いろいろ考えていた。ホームステイは、あちこち数多くさせてもらったが、受け入れたのは、今回が初めてだった。あの待ち合わせ場所を通る。故障中の張り紙が、まだ残っているまるい時計を懐かしく思いながら、いちばん右端の改札口を通って、東海道線のホームに向かった。北側の階段を下りてすぐの所から、1250分の東海道線に乗る。もしかしたら見えるかもしれないと電車の左側に寄って窓の外を見ていた。車内の「英語のアナウンス」終わった。富士山だ。ゲストに教えたときは、多摩川鉄橋を渡り切る直前だった。ビルの谷間に真っ白な富士山が見えた。