Mt. Fuji from Narita International Airport
Mt. Fuji from Narita International Airport

     引き返そうと来た道を戻っていくと、2人の警備員に、「ここからは出ることができない」と言われた。空港でつかまるのか。もう一度、ブースの方に戻って、係員に聞くと、「身分証明になるものを見せると通れる」というので、運転免許証を見せて空港の中に入った。右側を向くと通路の奥にトイレの表示がある。人の気配がしない。左側に2列エスカレーターがある。右側に乗ってみた。上の階が見えてきた。右を向くとATMがいくつか列が並んでいた。見慣れた旅行鞄とその上に載った青い模様の入った手荷物用の鞄がある。先ほど別れたばかりのゲストがATMの画面に顔を近づけて、操作している。あれは知らない人なのだとささやく悪魔も現れない。近寄って声をかけた。「どうやって、ここにきたのか」と驚いた口調で聞く。こっちだって、また会えるとは思っていなかった。事の次第を簡単に説明した。引き返そうとしたら出られないので、係りの人に事情を説明して、身分証明になるものを見せれば中に入れるということを。そのような表示はどこに書いてあったのだろう。線路沿いに駅のホームを歩いて行って、ふつうなら突き当りにある改札口を出たら、空港の中になるはずだが。いきなり、出発ゲートと見間違えるような光景だった。「運転免許証を見せて、そのままエレベーターに乗ってたまたま右を見たら、見慣れた鞄があって、その横に、見慣れたコートを着た女性がいた」と伝えた。「迷惑かもしれないが、行ける所までついていく」と言った。私が旅行鞄を引こうとすると、「自分で持っていく」と言って、いつもより足早に進んだ。3時までにチェックインしなければならない。空港は半袖の職員を見かけるほど暖房が利いている。ゲストはコートを脱ぎ、オレンジ色のストライプの入ったカーディガンを羽織っていた。ストライプは胴体だけで肩から袖までにはない。そのあとについていった。重たかった旅行鞄とは、ここでお別れだ。

Before Sunset seen from Narita International Airport
Before Sunset seen from Narita International Airport

          自動チェックイン・カウンターに着いた。チェックインの時間が迫っているようだ。エア・カナダのカウンターは、かなり奥の方にあった。自動チェックインではATMのときと、同じことが起きた。カードが読み取れない。そばにあったカウンターの列に並んで、ボーディング・パスを手に入れた。下りのエスカレーターの脇に小型のメルセデスが置いてあった。「車は要るか。」と聞かれたが「最近は運転しない。」と答えた。ゲストが、「このあとどうするのか。」と前を向いたまま、エスカレーターを降りる直前に、私に聞いた。「展望デッキから見送って帰る。」と答えた。ゲストはすぐさま、国立新美術館で見た、空港を描写した作品のことを話題にした。私は、あの作品は気にいっていたので、すぐ頭に浮かんだ。「その通りだ」と答えた。いよいよセキュリティチェックの入り口だ。今度こそ、お別れだ。先ほど別れたときと同じように片手を大きく振ってくれるかもしれないと少し待ってから、こちらも同じように振って応答した。ガラスの向こうでゲストが旅行鞄を開けて係りの人に説明している姿が見えた。このとき撮った1枚には1515分の記録があった。

Runway 34L / 16R, Narita International Airport
Runway 34L / 16R, Narita International Airport

            私は出発ゲートの番号と出発時刻を掲示板で調べてから、展望デッキへ向かった。第1ターミナルの案内図を見ると、44番の搭乗口は展望デッキからは見えないところにあることが分かった。北寄りに歩いて、途中にあったコンビニに寄ってから、展望デッキに出た。白湯の次に飲む物が要る。肌寒く人はまばらだ。西側の滑走路を向いたベンチはいくつも空いていた。駐機している機体の下を荷物運搬車が移動している。ときどき、離着陸する機体が行き来する。フェンスを見ていたら、フェンスのネットを切り取って穴をあけた所がいくつかあった。4本切り取ったものから16本切ったものまでいろいろだ。北寄りの16本切った所を撮影場所に決めた。デジカメもビデオカメラも、隙間の穴に手を入れたままネットの外に出せる。撮影開始。アングルを決めてくれるのは、駐機中の機体の尾翼や、着陸して向きを変えている機体や、これから離陸するために待機している機体だ。望遠付きの大型の高級カメラを携えて、その空間を専用に使おうと陣取っている防寒服の人がいた。目当ての機体を待っているのか、手を温めながら、何かを飲んでいるスーツ姿の人もいる。ときどきガードマンが見回りにやって来る。この時間は、A滑走路を使って離着陸していた。飛行機は風に向かって離着陸する。北風離着陸用の滑走路「RWY34L」と南風離着陸用の滑走路「RWY16R」だ。A滑走路のほとんどが見渡せる。正面より少し右にはこれから沈もうとする夕陽がある。その右側にスカイツリーのシルエットが見えた。成田エクスプレスの車窓から見えたものより、かなり小さい。左に目を移して太陽の真下をぼんやり眺めていた。台形をした薄い影が見える。それが富士山だとわかるまでしばらく時間があった。

Air Canada from RWY 16R to 34L
Air Canada from RWY 16R to 34L

          16日と17日は一日に2か所ずつ違った場所から富士山を見ることができた。JR南武線の武蔵中原付近、横浜ランドマーク・タワー69階、多摩川を渡る東海道線、そしてこの展望デッキから。太陽から少し離れた所にかすかな虹が左右に見える。日暈(ひがさ・にちうんhalo)と呼ばれる現象だ。上空の薄い雲が氷の結晶でできているときに見られるそうだ。 

           滑走路とエプロンの境目に滑走路を示す表示があった。離れたこの展望デッキからでも読み取ることができる。滑走路に印字された記号の見方をゲストは知っていた。成田エクスプレスの中で話題にしたら、船の場合と同じだと言った。知り合いの人が船を操縦するので、その人から聞いたそうだ。私は、「これから羽田空港に関する原稿を書くために調べていて、たまたまこの滑走路に描かれた記号が何を表しているのかを知ったのだ。」と答えた。「34」と「16」は北を0度とした方位盤上の「340度」と「160」度を表す。機体は円の中心にあると考える。Rは平行する2本の滑走路がある場合、右側のものを表している。「16R」だと、「南南東に向かう2本の滑走路のうちの、右側にあるもの」という意味になる。今、ちょうどその向きに離陸をしている。滑走を開始するエンジン音はもう少し大きいと思っていたが気にならない。展望デッキとエンジンがかなり離れているからだろう。燃焼した燃料の臭いは少し鼻につく。滑走路の端にゆっくり自走してきた機体が、突然、爆音を轟かせて滑走しはじめる。滑走路を疾走する。爆音が消えかかるころには空の上だ。エア・カナダ機が44番ゲートに向かって移動していったが、気がついたときは尾翼だけになっていた。機体全体を撮ることはできなかった。西の空に目をやると、富士山の頂上、すれすれに筆で1本の線を入れたような雲が懸かっていた。もう少し待つと日没前後の富士山が撮れるかもしれない。

Ready to Take Off
Ready to Take Off

     風が冷たくなってきた。離着陸に使う滑走路は16Lに変更になった。デルタ航空の白い機体がエンジン音を鳴らしながらカメラの正面にやってきた。地面に引いてある黄色い線に前輪を合わせながら、こちらに近づいてくる。ビデオカメラに撮る。エンジンが止まるま思っていたほど長くなかった。17時ちょうどに出発するはずのエア・カナダのボーイング777300ER型機は、1730分過ぎに左側の駐機場から滑走路にやってきた。カメラの正面を右方向に自走していく。少し右に進んだ所で右回りに方向転換して、滑走する方向に静止した。左方向にゆっくり滑走し始めた。夕陽の富士山を背景にエア・カナダ機の姿が入るように、シャッターチャンスを待った。ひっきりなしに滑走路の右遠方からやってくるANAJALの着陸の合間を縫って飛び立っていく様子を撮ることができた。

     夕陽は沈み、富士山は見えなくなっていた。私は寒くなってきた黄昏の空を背にして展望デッキを離れた。帰りは横須賀線の普通列車に乗った。第1ターミナルから乗り込む乗客はまばらだった。車内の案内で東海道線と京浜東北線が事故のため、どちらもダイヤが乱れていることを知り、武蔵小杉で南武線に乗り換えて帰宅した。川崎駅で14日に撮影できなかった改札の前の待ち合わせ場所にある時計と、新しいスイカを買った券売機を記念に撮って帰宅した。 

Next Stop will be Toronto, Ontario Canada
Next Stop will be Toronto, Ontario Canada

     降って湧いたような今回の「ミッション」で、得られた成果の1つは、思っていることは、すぐその場で伝えたいこともあるし、後で伝わればいいこともある。口から発する言葉でなくても、無意識のうちに意思表示ができる。その場ですぐに相手に伝わらなくても、また、相手の方もすぐに理解できなくても、次第にわかってくることもある。相手が発したときの状態がそのまま伝わることもあれば、違った形で伝わることもある。確認するために言葉のキャッチボールが必要なのだ。その一例を挙げると、駅の改札口で、初対面の場で、ゲストが、飲みほしてストローを差したままになったコーヒーカップを持っていた。これは、「コーヒーが好きですよ。」ということかもしれない。駅を出て、「レッド・ブイアント」を観察し、タクシーに乗って、うちに着いて、ゲストルームの居間に入ってもまだ、そのカップを抱えていた。これは、「私はただならぬコーヒー好きなのですよ。」ということを表しているのかもしれない。ゴミ集積所を通ってきたら、ちがっていたかもしれない。いずれにしても、私が駅で、受け取っていればよかっただけかもしれません。

     14日から4日間、いつも暮らしている自分の生活圏を別の言語の世界を通して眺めることができた。今、住んでいるのは、こんなに素晴らしい所なのだ。            THE END