Ikuta Park entrance
Ikuta Park entrance

      日本民家園を右に見ながら、左にカーブした緩やかな坂道をゆっくりとのぼっていく。そろそろお腹がすいてきたが、ゲストの昼食時間にはまだ早い。坂道をのぼりきると左側に噴水があって、その横にプラネタリウムのある科学館が建っている。立ち寄ってみた。入ってすぐの所にあった棚からパンフレットを2つ、3つ手に取る。英語版を求めたが、見当たらない。ここには、1998年大平貴之(おおひらたかゆき・1970年生まれ)という人が開発したメガスター(MEGASTAR III Fusion)という大型のプラネタリウムが設置されている。大平さんは小学生のときにプラネタリウムを自分で作成したという話をしたら、「子供のころに本で読んだことがある」という。詳しく説明した別のパンフレットを係りの人からもらったとき、奥の方のプラネタリウムの入り口に人だかりがあった。星座の観察に興味はあったが、今日の目的地は、この先にある「岡本太郎美術館」だ。

SL D51 408
SL D51 408

          外に出て、左側にあるSLに近づいた。駅構内の線路上にあるものより、大きく見える。客車を引いて線路を走っていないが、これも立派なモニュメントだ。昨日、現代アート展を見てからは、今まで、私が見てきた公園のSLは、かつて現役だったが、いまは「走らなくなった機関車」というイメージだったが、きょうからは、少しだけ重厚で大掛かりなアート作品で、題名は「走っていた姿をとどめているモニュメント」だ。正面に回ったら「D51 408」という題名がついていた。1940年製の「デゴイチ」だ。ゲストの祖父は蒸気機関車の機関士で、あるとき石炭を釜に投げ入れる作業をしている最中に、入れ歯が外れて、石炭とともに釜の中に入ったという話をしてくれた。得意そうに説明するゲストの横顔を見ながら、大笑いした。SLの正面から見て左側が日陰になる。黒塗りの車体に見とれていて、薄い氷が足元にまだ残っているのに気がつかなかった。日なたと足音が違うので気がついた。入れ歯の話の続きを聞きながら、逆光にならないようにもう一度、日なたに回って、SLを正面から撮影した。入れ歯の話が終わって、SLを後にした。

Through the woods to find the museum
Through the woods to find the museum

     歩道のそばにピクニック用テーブルがあった。周りは枯れた芝だ。テーブルの横を通り過ぎる。「私の子供のころには、屋外にこのようなテーブルはあまり見かけることがなかった」と話したら、「食事をするときは、どうするか」と聞かれた。正直に「大きな石のような腰かけやすい所に座るか、地べたにビニルシートを敷いて食事をする」と答えた。風はまだ冷たいが、暖かい日差しの当たる、冬の森の中をゆっくり歩く。少し行くと緩やかな坂道になった。葉を落とした木々が一団となって、澄み切った冬の青空にまっすぐに伸びている。かなり歩いてきたが、目指す美術館はなかなか見えてこない。昨日、訪れた稲毛神社の鳥居から本殿に向かう参道を歩いているような気がした。すぐには目的の場所は見えないようになっている。「目的地がどのような所なのか想像しながら、気分を高めながら近づいていく」(狩野敏次『居住空間の心身論-『奥』の日本文化)そんな気がした。

Usher in the pond
Usher in the pond

           薄緑色のせせらぎを右に見ながら、さらに坂道をのぼっていくと、前方の木々の向こうに美術館と思われる建物が見えてきた。白い角が生えた黒いモニュメントが池の中に立っている。池のほとりにレストランがあり、周りのガラスに白い角が映っている。「食事は。」と聞いたが、いつも通りの返事で、まだゲストの昼食時間ではなさそうだ。奥まったところに美術館の入り口があった。受付の近くに撮影禁止の掲示があった。まだ中に入っていないので、受付カウンターの手前にある青と赤のモニュメントを外から撮影してから、観覧券を買う。岡本太郎さんの演出なのか、3回試したが2つ並んだ右側の券売機のパネルがいくら丁寧に押しても反応してくれない。左側の券売機にする。やっと600円のチケットを2枚手に入れることができた。ゲストにチケットを手渡すと、財布の中の小銭をいくらか取り出して、手に載せて見せてくれたので500円玉を1枚もらった。

Entrance Hall, Taro Okamoto Museum
Entrance Hall, Taro Okamoto Museum

     受付の右にある入り口から展示室に入る。入ってすぐのブースには、見学者は数名いるだけだ。岡本太郎の両親の生い立ちや、妹さんが遺品の展示を管理していることなど、日本語でしか表示されていない。展示品を見ながら、昨日の現代アート展の熱心なゲストの解説のお返しをする。きのう、ゲストがしていたのをまねて、小声で説明した。小声の発音練習は英語ではやったことがない。皆さんもいま「Fighting against ticket vending machines, we were allowed to get two tickets.」なんて小声で言ってみて下さい。岡本太郎は1911年(明治44年)226日に生まれ、 199617日に死去。「職業は人間」「芸術は呪術だ」「グラスの底に顔があっても良いじゃないか」といった数々の名言が残っている。1981年マクセルのビデオカセットのCMで発した「芸術は爆発だ」は有名だ。1948年ごろに岡本太郎に出会い、秘書として支え、のちに養女となった岡本敏子(としこ)さんは、岡本太郎の死去まで約50年間あらゆる作品の制作に立ち会った。

TOMA Entrance Sign
TOMA Entrance Sign

         ちょうど歩き疲れた所に原色をふんだんに使った色彩豊かな椅子がいくつか並んでいた。自由に腰掛けてもよいと書いた表示がある。木を骨組みにして、やや太めの紐を組んである。暖色系や寒色系の原色を絡ませた紐だ。紐を両手で触ってから、座り心地を確かめた。深く腰掛けると、体が後ろに傾いた。ふと天井を見上げると、楕円形の穴が2つあいているのが目についた。私が換気口ではないかというと、照明灯の光を導くために楕円にデザインしてあるのではないかと言う。そんな話をしてから、立ちあがると目の前に、岡本太郎独特のタッチで、厚手に油を使用した絵画があった。油絵の具を使って、波打つように仕上げるためには何度も重ねて塗るので乾くまでにかなり時間がかかるということを話してくれた。ゲストが触った所に近づいてみると、油絵の具の匂いがした。「芸術は爆発だ」のCMにまつわる写真を並べた展示室には、英語による解説もあったが、デザインの都合か、表示するスペースがないのか、ずいぶん簡潔に書いてあった。