トロリーケース
トロリーケース

      駅前から乗ったタクシーが、わが家の前にあるバス停に近づいた。いつもはゴミ集積所の前で降りるのだが、ゲストルームへゲストを案内するのだから、近道でもゴミ集積所は通らないほうがいい。バス停の手前でタクシーを降りてトランクから荷物を取り出した。信号が青になるまで待つ。重いことを忘れていた旅行鞄を転がしながら、通りを横切る。明るい照明のエントランスを抜けてゲストルームに向かう。本当にやってくるのだろうか、来るとしたらいつこちらに着くのか、いろいろ心配もしたが、とにかくゲストハウスに着くところまできた。駅から、ここまで来る間に、頭の中に溜まっていたバラバラの単語が、熟語になっていった気がした。私が話したすぐ後に、返事が返って期のだから、そしてゲストの顔の様子から推測すると、まあ、何とか伝わっていたのでしょう。そういえば、短期間の滞在の目的は何か、どのような話し方をする人か。どんな性格かといったことは考えている余裕もなかったし、そんなことを聞いても、ゲストの口から出てくることばが、すべて私にわかる英語となってくれるわけでもない。

玄関のドアを開けて、重たかった荷物の取っ手から手を放した。廊下の照明をつけて靴を脱ごうとしていたら、ゲストはブーツを履いたまま、廊下に上がって23歩、歩いていた。「ここで脱いでください」と呼びとめた。駅で見かけたあのコーヒーカップを、捨てる場所が見つからなかったのか、まだ、胸元に持っていた。重い手荷物はすべて私が持っていたし、貴重品はショルダーバッグの中なので、コーヒーカップを持つ手があいていた。2つの荷物を玄関ホールに置いたまま、居間の脇の寝室に入った。SML3種類のパジャマと1泊分ずつ緑色のリボンで結んだ3泊分のタオルセットがベッドカバーの上に載っている。メールには、パジャマのサイズが書いてなかったので、こうなっていると伝えた。

    和室に入る。照明器具の点灯の仕方が2通りあること、2つあるエアコンの片方のリモコンが不調であることを念のために説明した。居間に戻って、テレビのリモコン、窓の開閉について、手で触れながら、簡単に伝えた。浴室では給水栓を抜いたら湿気やすいので換気扇を回しっぱなしにしておいた方がよいと伝えた。3つのボタンが付いたインターホンには、使用法をメモしたポストイットを示しながら説明した。この日の朝、掃除をしてから、とりあえず要点を書いたものを張っておいた。私だったら一度にまとめてあれこれ説明されたら、から返事で済ますこと間違いなし。小さいポストイットに書いた私の字をゲストは小声で読み上げていた。きょうは朝早く起きて、移動時間も移動距離も長い一日だったので湯につかりたいと言う。12時間以上、食事抜きで機内にいたことだし、トロントで乗り継ぎもあったし、成田から品川で乗り換えて、ここまで来たのだ。ゲストが台所に行って、ガスの給湯機のボタンを押してきた。浴室に回り、浴槽の栓をしてから蛇口の湯を出している。冷蔵庫、電子レンジとガス器具の説明を終えて、もう一度、浴室のお湯の量を確かめた。そういえばまだ、今回の訪問中の詳しい予定は一切、聞いていない。説明をするというので1時間後に再び会うことになった。お互いに腕時計を見る。ゲストの時計の針は、東部標準時のままだった。居間の掛け時計を見る。ゲストが「1時間後はどうか。」と聞いたので、そのとおりにした。掛け時計は少し進んでいることを確認してひとまずゲストルームを出た。                                      つづく