Inner Harbor, Baltimore (from Website)
Inner Harbor, Baltimore (from Website)

             帰宅して30分後、2日目のミーティング開始。「川崎はボルチモアの姉妹都市のひとつだから、川崎について、もっと知っておきたい。」と、ゲストから要望があった。どんなことを質問されるか見当もつかないので自宅のノート・パソコンを持ち込んでいた。ときどきパソコンの画面を見てもらいながら、説明をする。少し説明して、ほっとする間もなく、次から次へとゲストの口から質問が飛び出してくる。ちょっとでいいから映画やDVDのワン・シーンのように近づけようと、質問を聞きながら、その答えとそれに付け足せるようなネタを考える。そのあいだにも、ゲストの質問と説明がつづく。パソコンの映像をヒントに別の映像が頭に浮かぶと話が途切れないのだが、なかなかそのチャンスがこない。それでも、地元である川崎の歴史や周辺の地理は、断片的ではあるが説明できたつもりだ。

Marker Crown Stone (Wikipedia)
Marker Crown Stone (Wikipedia)

     つづいてゲストの説明。アメリカ東海岸南部の歴史と地理について。川崎もボルチモアも確かに湾内に位置する港湾都市だ。あちらには近くのアパラチア炭田から工業原料が手に入るが、こちらは近くにそんなものはない。ゲストが、2つのプレートのずれが地震の発生源だと話し出した。話の途中で東海岸に津波が押し寄せることを聞いて、私は太平洋の、ゲストは大西洋のプレートをイメージしていた。ゲストハウス周辺のことも質問された。この辺りの薀蓄なら、いろいろ調査済みだ。放送番組のナレーションやコミュニティの新聞に使う原稿を書くために興味本位に集めたものがある。パソコンのファイルを開くだけで文書も映像も揃っている。川崎の成り立ちについて、聞かれたときには、東海道ができたあたりから説明しておいた。残念なことに、英語で説明するので、得意な分野も手抜きのプレゼンみたいになってしまった。メリーランド州のことや、ボルチモアに近い首都のワシントンのことなど、ゲストの解説する内容が多くなるので、しどろもどろになりながらも、こっちも負けずに質問した。ひととおり説明し終わったと油断していると、「All right」とか「Go ahead」と相槌が入る。いろいろ話し方を変えてみて、ゲストの困った顔に気づいたら、また言い方を変えて話を続ける。叱られている幼児が、ときどき母親の顔を見上げているみたいだ。帰宅後、入りくんだ13州の地形が出ている地図をネットは地図帳で探したが、その夜は見つからなかった。いろいろ見ているうちに南北戦争のときに、南北の境界線を示す「メイソン・ディクソン・ライン(Mason-Dixon Line)」に出くわした。「Marker Crown Stone」という境界線の目印にするために設置されたが石柱が、何となく一里塚に似ていて興味深い。

メイソン・ディクソン・ライン
メイソン・ディクソン・ライン

          そういえば、この文章を書くときまで気がつかなかったが、飲み物がテーブルの上になかった。私が準備するべきだった。おもてなしが出来るほど、余裕がなかったのにちがいない。勉強会がひと段落したところで、ゲストの方からパートナーのことを語り出した。私は個人的なことに関してはあまり聞き出そうとは思わないが、相手の方から切り出されたときは、待ってましたとばかりに、興味深く耳を傾ける。同年齢で映像関係の仕事をしているパートナーとアパートメントの3階に暮らしているとのこと。日本だとマンションの3階だ。廊下は狭いそうだ。横歩きをするしぐさをした。ボストンのように昔の姿を残した風致地区に住んでいる。話を聞いているとき、昨日の夜は部屋の中が寒かったことを妻に話したら、エアコンの吹き出し口の向きを変えるように言われていたことを思い出した。ルーパーを下向きにした。昨夜のあの寒さは何だったのかと思うくらい暖かい。こっち側の方が暖かいと右側の椅子を譲った。

Cherry Blossoms in Station South Park
Cherry Blossoms in Station South Park

     パソコンで画像ファイルをスクロールしていたら、たまたま川崎駅西側に咲く満開の桜並木の写真があった。これを見たゲストはニューヨークのハドソン川沿いの「さくらパーク (Sakura Park)の説明をし始めた。私は去年の夏、何かの原稿を書いていて、1900年代の初めに「ハドソン・フルトン・フェスティバル」のために日本から贈られた桜の苗木を、1つはニューヨークのハドソン河畔(かはん)に、もう1つは、首都ワシントンのポトマック川のタイダル・ベイスンという入り江に植えたことを思い出し、このもとになったのはおそらく、タフト大統領(William Howard Taft)ではないかと言ってみた。すぐに「第27代の大統領」と、相槌が入った。体重は多いときは156㎏もあって、ホワイトハウスの浴槽を入れ替えた人であるという話題は出なかったが、「もともと弁護士で、大統領退任後は最高裁判所の所長になった。」と話してくれた。

Street along Railroad near the Staion
Street along Railroad near the Staion

          私は、負けずに大統領夫人のヘレン・タフト(Helen Herron Taft)の話を記憶にたどりながら、といっても見出しのような言葉を並べて何とか説明して、やっと理解してもらったようなのだが。1905年、大統領になる前に「桂・タフト協定」締結のために皇居で晩餐会が開かれた。ここに横浜領事館の外交官であったジョージW.シドモアが同席した。彼は独身であったので、妹のエリザ・ルハマ・シドモア(Eliza Ruhamah Scidmoreエライザ・ルアマ・シッドモアとも)を参列させた。ここでシドモアと大統領夫人との親交が始まった。

     シドモアは当時、電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルが会長であった月刊誌「ナショナル・ジオグラフィック(National Geographic)」のレポーターとして日本中を旅行していた。1896615日に起きたマグニチュード8を超える明治三陸地震の被害を取材し、初めて「ツナミ」という言葉を世界に発信した。1884年の来日以来、桜の美しさに魅了されたシドモアは24年間もワシントンの都市計画として桜並木を取り入れるよう当局に進言していたが実現しなかった。ところが旧知の仲だったタフト夫人の夫が大統領になったのをきっかけに、首都ワシントンに日本の桜を植えることが決まった。     

Double Cherry Blossoms, Kawasaki Station West Exit
Double Cherry Blossoms, Kawasaki Station West Exit

     この話の中で、ゲストはヘレン・タフトとシドモアのつながりに、なるほどと、うなづいていた。桜の話は、このあと、日本から持ち帰り自宅に植えた桜をシドモアに見せた昆虫学者のチャールズ・レスター・マーラットと植物学者のデイビッド・グラディスン・フェアチャイルド。2度目に贈った苗木のスポンサーの医学博士高峰譲吉とその夫人キャロライン、高峰の助手上中啓三(うえなかけいぞう)。輸送は日本郵船加賀丸と阿波丸(あわまる)、ユニオンパシフィック鉄道など。仲介役の東京市長尾崎行雄(1回目の2000本のスポンサー)、アメリカ総領事水野幸吉(こうきち)、外務大臣小村寿太郎(こむらじゅたろう)。害虫駆除の専門家古在由直(こざいよしなお)東大農科教授、桜と菖蒲(しょうぶ)の権威、三好学(みよし・まなぶ)、江戸時代からの苗木を保存していた園芸家の高木孫右衛門(まごえもん)をはじめ、接ぎ木して1度目は2000本、2度目は3000本以上の苗木を育てた人々、アメリカ在住の日本人などの大プロジェクトだった。

     桜の苗木は、日露戦争の終結に仲介役をした第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)にお礼として、東京市長尾崎行雄が贈ったことしか知らなかったことから、1度目は害虫被害にあったことが加わり、それから、日米双方からの歩み寄りによって、次第に膨大なミッションであることを知った。これが本当の「ミッション・ポッシブル」である。

Full bloom above Designed Stones, Myoshinji Temple, Kyoto
Full bloom above Designed Stones, Myoshinji Temple, Kyoto

         さすがにこの日は、時差に負けてしまったようで、ゲストは連発するあくびをこらえていた。早めに引き上げようと席を立ったのだが、いろいろ質問されて答えているうちに、また座ってしまった。座る位置が入れ替わっただけで、また話し込む。使い込んだスマホをときどき触りながら話す。このスマホは店員が2週間試して、気に入ったら買えばいいと言うので、その通りにしたものだと言う。2週間後が迫ってきて、返そうとしたとき、アダプターを紛失したので返品できなくなり、それ以来使うことになったそうだ。今はパソコンにUSBを差して充電しているそうだ。そのスマホを差し出して、画面を見せてくれた。雪景色の写真と街灯のついた自宅前の通りの写真を見せてくれた。まっすぐ行くと港に出る。住んでいる建物の写真はなかった。ゲストが帰国してまもなく、Google Street Viewの検索欄に教えてもらった住所の番地と通りを入力しかけたら、1番上に候補が現れた。Enterを押すとすぐさま上空からみた写真が出てきた。最大画面にする。レンガ造りの建物が並んだ通りが現れた。該当する建物を赤いマークが示している。Street Viewを使って周りを散歩してまわった。数か月前にStreet Viewを使って、ボルチモアにある「レッド・ブイアント」を上空から探したことを思い出した。宇宙人かピーターパンになったような気分だった。モニュメントを探すには、紅色をした部分を探せばいい。こんなアイディアが浮かんだ。インナー・ハーバーの海岸線から東西に行き来しながら北の方にに進んだ。もしかしたら見つかるかもしれないと思った。1日目は見つからなかったが、確か、2日目か3日目についに見つけ出した。見つけた夜、「レッド・ブイアント」のホームページを読んでいたら、イースト・プラット・ストリートにあることが載っていた。このゲームに関心のある人は、是非試してみてください。大通りの北側にあります。100番地です。